社会人大学院を終えて

2014年より,仕事の傍ら社会人学生として大学院に通っていましたが,9月末にようやく修了し,「博士(学術)」の学位を取得しました。そこで,総括としてこの4年半を振り返ってみたいと思います(長文失敬)。

私は,学部の頃は地元の大学で数理生物学(生物に関する様々な現象をモデル化する研究分野)を学びましたが,修士課程では所属上「文転」し,教育工学と呼ばれる分野で教育支援システムの開発研究を行ってきました。その後,同じ研究科の博士課程にも進学しましたが,一年在学時に某研究施設から声がかかり,大学院を中退の上,就職することになりました。これには,在学中に弟を事故で亡くし,人生設計を急きょ変えざるを得なくなったのも関係しています。

就職先では諸般の事情で「研究者」待遇にはならず,事務系職員という立場で各種システム開発に10年以上携わってきたものの,やはり研究所のスタッフという立ち位置ゆえ,海外の同業他施設とのやり取りも多く,「博士号」がないことが有形無形のネックになることもしばしば…。ドクターとは,「足の裏の米粒」(取らないと気持ち悪いが,取っても食えない)とはよく言いますが,一度博士課程を中退した身としては,その得も言われぬモヤモヤ感をずーと抱えて働いてきた次第です。

そんな最中の2010年に海外の「ご同業」とワークショップを開いた際,先方のスタッフが見せてくれた一枚のグラフが目にとまりました。その図には,実験装置や研究者の相互関係を可視化した点と線が描かれており,「ソシオグラム」の手法に基づいて関係性を表現したものと説明してくれましたが,この手法はなかなか面白く,いろいろと応用が利きそうだな,と当時強く興味を抱いたものでした。ただ,「ソシオグラム」というキーワードは,主に社会学の世界で限定的に使われていたためか,日本語では体系的な情報をあまり得られず,そうこうしているうちに日々の忙しさにかまけていつしか忘れてしまったのです。

それからまた1〜2年の歳月が経ち,関東のとある国立大学が社会人を積極的に受け入れていることを偶然知り,入社以来携わってきたWebシステムの開発評価に関する研究ができないかを,分野的に最も適合性の高そうな研究室の先生にメールで訊ねてみました。すると先方からは…今年度で定年なので新規の学生の受け入れはできない,との残念なお返事が…。そんなわけで,博士課程再開の望みはこの時点では叶わなかったものの,やはり学業をきちんと最後まで修めたいとの気持ちは変わらず,約1年後の晩秋,大学祭に合わせてオープンキャンパスが開催され,その一環として進学に関する説明会と研究室公開が行われるとの情報を聞きつけ,何らかの足がかりが得られればと思い,参加してきました。説明を聞いたところ,社会人の大学院生の入学はウエルカムで,特に博士課程はまだ進学者が少ないので是非との後押しをもらい,オープンキャンパスの名を借りて受け入れてもらうそうな研究室を片っ端から回ってみたのです。すると,今年からこの大学に移ってきたという先生と偶然意気投合し,その場で進学希望の相談をしてきました。で,帰り際に研究室の看板をよくよく見てみると,そこは前年に進学を相談したものの(定年のため)断られたところではないですか。どうやら後任の先生の研究室に流れ着いたようでした。

その後は,具体的な研究希望内容を先生とメール等で打ち合わせしつつ,職場との調整を開始。幸いなことに,私の職場は学位を持っていてナンボというアカデミックな組織ということもあり,働きながら大学に行くこと自体は特段問題視されず,また当方の職務に関する蓄積データに対して適切な匿名化を施し,統計情報として取り扱うのであれば研究の素材として利用して構わないとの許可がおりたのです。これは,当時の上長が働きながら学位を得た経験を持ち,また進学希望先の研究室の先生が見学も兼ねて,当方の職場まで来訪していただき,私の上司とともに面談してくれたのも大きかったですね。ただし,学費や休暇に対する職場からの支援や優遇措置はないことと,また当然ながら業務時間には研究を行わないとの誓約書を書き,研究室と職場との間で取得データに関するNDA(秘密保持契約)も結びました。

そんなこんなで翌年2月には入学試験を受験し,指導希望教員を含む複数の先生の面前で研究計画に関する30分ぐらいのプレゼンテーションを行い,無事合格通知をもらいました。私の受けた大学院は,社会人は語学の試験が免除されるのも地味に助かりましたね(笑)。もっとも修了要件として,「国際会議での発表経験」が必須とされているため,さすがに語学力ゼロでは途中で詰んでしまいますが。

そして季節は巡り,時は2014年春,ついに10年ぶりの学業再開。早速年休を取って入学式に出席し,もろもろの手続きへ。この時,ひとつ失敗したことがありました。入学当初は,「分析対象のシステムはすでに10年近い運用実績があり,しかも関連論文も(一応)発表済なので,修了が3年を超えることはあるまい」というミョーな自信があって,「長期履修制度」の申請をしなかったのですね。「長期履修制度」は,大学によって内容が異なると思いますが,私が通っていたところでは,社会人院生は働きながら研究するため,通常の学生よりも研究に割ける時間が少ないであろうから,博士課程であれば3年分の学費で最大6年在籍できるという修学支援制度だったのですね。ただし,入学時に申請しておかなければ適用されないらしく,後から3年で修了できなくなったので「長期履修制度」に…というワケにはいかないのです。後述しますが,実際には修了まで4年半かかってしまい,この申請をしなかったことを少々悔やみました(実際には裏技を使って学費は3年分で済みましたが)。もっとも,長期履修前提に大学院に通うと,つい気が緩んで修了までギリギリ6年かかってしまうような気もしますが…。

ところで,私が所属した研究科では、博士論文の形態として,主に(1)学術的な意義を有する先端的な研究を行うスタンダードな「学術研究型論文」,(2)社会的に意義のある情報システムの研究開発をまとめた「システム開発型論文」,(3)情報システムに関する事例を体系化した「事例研究型論文」の3種類があるのですが,それぞれ修了に必要な要件が異なっており,(2)であれば,システムの開発実績(に関する論文)と社会に役立ったことを示す客観的な資料があれば,すぐにでも博士論文に取りかかれるように規程には書かれているように読めたのです。そのため,「システム開発型論文」として最短ルートで学位取得を目指そうとしたのですが,現実はそんなに甘くはなく,指導教員から,「システム開発の実績をまとめたとして,ホントに今後運用にフィードバックできるの?」との核心を突く一言が。実は,これまで手掛けてきたWebシステムは,たしかに私が中心となって仕様策定は行ってきたものの,上部の委員会で決まったことや特定の利用者の要望が横滑りで要件として流れ込んでくることが多く,「こういうところの画面遷移や操作性がわるいから改良しよう」とか「ログをみると,ここでユーザーが滞留しているようだから,このように改修しよう」といった開発に携わる現場の意見をなかなか反映できないのですね…。しかも開発リソースの関係でWebシステムの本体は外注することが多く,正直なところ私が主体的な「開発責任者」かといわれると???と言わざるを得なく,そういった意味で「システム開発型論文」で学位論文をまとめていくのは少し無理があるな,との結論に入学後遅ればせながら達したのです。そうなると,当初の目論見が根底から崩れてしまい,研究をどのように方向転換すべきか数ヶ月悩み続けることに。

そんな最中,研究室の助教の先生から「複雑ネットワークに関するサマースクールがあるので,参加してみたら」とのアドバイスをいただき,再び年休を取って仙台まで数日間出向いてきました。当初,「複雑ネットワークってそもそも何だろう?」と思いましたが,サマースクールを受講し,よくよく講師陣の話を聞いたところ…コレって以前興味を持っていた「ソシオグラム」をもっと広い概念で捉えたものでは,ということに気付いたのです。くしくも,5年程に興味を抱いた分野と偶然道が繋がる奇縁。これはまさしく離れた点と点とを繋ぐ線…複雑ネットワークを地で行くような経験でした。また,サマースクールでは,聴講するだけではなく,私の職場の外部利用者(ユーザー)の研究分野・研究手法の時間変遷に関するポスター発表を行い,複雑ネットワークの手法を用いた分析結果ではなかったものの,複数の分野・手法間の併用関係について今後可視化していきたいとの旨を説明しました。

サマースクールより戻ってきてからは,研究の方向性を「(職場である)研究施設の利用研究成果の最大化と将来の設備の更新計画に向けた評価指標の提案」に切り替え,進めていくことにしました。「利用研究成果の最大化」とはなんとも曖昧な概念ですが,学術機関における「研究成果」とは,多くの場合,発表した論文の数で語られてしまうことが多く,量的な視点のみを「最大化」という評価軸に還元してしまうと,必然的に論文を書きやすい分野や手法だけを重視することになり,これでは学術領域の多様性や将来発展が期待されるセグメントに対する萌芽的なチャレンジを阻害することにも繋がりかねません。そこで,研究施設における論文の数を一層増やしていくための施策を検討していくのと同時に,論文数<以外>の評価方法についても同時に考察し,量と質の「二兎を追う」複数の提案をすることを研究のゴールに設定することにしたのです。なんだか「研究成果の研究」というメタ的…というか循環的なテーマになるため,言葉でうまく説明するのが難しいですね(笑)。

…といったわけで,1年次の後期から研究が仕切り直しとなり,研究施設の利用動向の時系列分析,機械学習を用いた発表論文数の将来予測,複雑ネットワーク手法を用いた研究分野・研究手法・実践設備の相互利用関係の可視化,主成分分析,テキストマイニング等,手元のソース(=分析対象データ)に適用可能な様々な分析手法を用いて,五月雨式に研究を進めていくことになりました。ただ,当然のことながら,すべての分析手段について精通しているわけではないため,各手法の理解と習得も合わせて行う必要があったことから,思うようには進まず,結局2年次はトライ&エラーに明け暮れる日々でした。そのため,3年次に進学しても,博士論文の着手前提である査読誌への投稿も国際会議での発表の見通しも立たず,このままでは規程の3年以内には終わらないな…という状況に追い込まれてしまったのです。博士課程自体は,留年することで最大6年間在籍することができるのですが,何もしなければそのまま学費がかかり続けるため,思案の結果、形式上一旦休学というカタチを取り,学位取得の道筋が整った時点で再開することにしました。もちろん社会人なので,学費自体はそれほど大きな問題ではありませんが,底なし沼のように分析作業の深みにはまってしまい,終わりが見えなくなってしまったため,ある程度収束するまで休学した方が気持ち的に幾分か楽になるのではとの判断もありました。ただ,休学手続きには,指導教員に加え,所属長の承認を得る必要もあり,若干手続きに手間を要しましたね。そういう意味でも,繰り返しになりますが,「長期履修制度」に申し込んでおけば,もっとゆとりを持って学業に専念できたかな,とも(休学中していると,学会発表等の旅費支給の手続き等もややっこしくなるのですよね…)。

もちろん休学期間中も学業自体を休むわけではなく,仕事の傍らひたすら作業を続けていました。偶然,助教の先生の一人が,私の居住地に近い関西圏の大学に移ってこられたので,月1ペースで訪問の上,指導していただき,何とか分析結果を論文化する道筋が立ってきました。また途中,先生が研修のため海外に長期間出張されていた際にも,Skype等で遠隔ミーティングしていただき,都度アドバイスをいただいたのにも救われました。そういう意味では,社会人院生をやっている間,先生には本当に恵まれていたな,と感謝しております。

休学は可能な限り1年以内に解除し,前提条件(査読論文1報以上,国際会議発表1回以上)をクリアの上,博士論文を着工する算段でいましたが,またもや想定外の事態が…。以前のブログでも書いたように,母が突然病気を患い,介護のため週末は毎週実家に帰る生活が始まることに。さらに不幸なことに母は帰らぬ人になってしまい,その後の様々な手続き等にも追われ,研究はほぼストップ状態…。気持ち的もなかなか辛い状況でしたが,博士号の取得を目指す私を一番精神的に応援してくれていたのは母だったので,その思いに応えるべく,半年後に研究を再開。不思議なことにそれからはコトがトントン拍子に進み始め,査読誌に無事論文が掲載され,また国際会議にもなんとか採択され,ローマまで発表に行ってきました。海外出張の経験自体はこれまで何度かあったものの,正直なところ英語はそれほど得意ではないため,自宅の最寄りの英会話学校でプライベートレッスンを10回ほど受け,しゃべれる「つもり」になった勢いで,国際会議の壇上へ。しかーし,私も一つ前の発表者が会場に現れず,時間が余ってしまい,発表20分+質疑応答10分のところが,質問タイムが35分ほど続いてしまいました。最初は「早く終われ〜」の一念でしたが,途中からは開き直ってしまい,何でもござれ状態(笑)。結果的に,会場の方の多くに発表内容に関心を持ってもらうことができ,いい経験をしましたね。

そして,2018年4月。1年半の休学期間を終え,ついに復学。前年の9月頃から,国内の研究会発表→査読誌投稿→国際会議のアブストラクトが立て続けに続き,仕事もなかなか忙しくててんてこ舞いでしたが,ここで立ち止まったら雪道で足を取られた車のように再始動できないような気がして,がむしゃらに進み続けました。このテンションは,大学受験の時以来だったかも知れません。こういうときは,誰かが言っていましたが,いきなりゴールを展望するのではなく「目の前の電柱まで走って行く,を繰り返す」という心持ちで一歩ずつ進んでいくのが,息切れ防止には有効かも知れません。
国際会議の発表準備と並行して,2月頃からは博論本体にも着手し,4月の研究審査用論文の提出に間に合わせるべく毎朝・毎夜少しずつ書き進める日々。また必要書類の準備も進めていきましたが,コレが種類が多くて意外と面倒。特に,既発表論文の内容を博論で引用することを共著者に承諾してもらう書類にサインを集めるのに手間を要しました。なんとか期日までに博論のカタチを整え,4月末の研究審査会では研究内容について1時間発表+1時間質疑応答を行い,本審査へ進む承認が得られました。

続いて、約1ヵ月後に研究審査会の指摘内容に基づき修正&補完した本審査用の論文を提出。ここで少し気持ち的に一段落し,公聴会(最終審査)に向けたプレゼン内容を練り直しつつ,その間,修士時代の恩師を頼って古巣のゼミにも「乱入」し,ちゃっかり発表の練習もさせてもらいました(大学も,分野も違うのですが…苦笑)。

そして,時はついに最終決戦の舞台へ。7月某日の18時という妙な時間から公聴会は始まりました。前座の研究審査会のときはそれほど大きな指摘事項はなかったため,少々リラックスしながら発表したところ,論文審査員の先生の一人から大変厳しい指摘が…。研究の流れに関する妥当性についてツッコミが入り,この期に及んで章構成の大幅な見直しが必要となったのです。博論は前章を受けて次章の文章が書かれているため,正直このタイミングでの修正はキツかったですね…。猶予期間が1週間程しかなかったのも,なかなかヘビーでした。しかしながら,修正していく中で記述ミスも複数見つかったため,バグ修正という意味では結果オーライではありましたが。

…といった感じで、博士論文の最終版をカツカツ仕上げ,できるとこは全てやり尽くした…とハイニナル(笑)。その後、9月上旬の教授会で学位授与の沙汰が下り,月末に学位授与式で博士号が授与されました。9月期は修了者が少ないため,学長が全員の名前を読み上げ,学位記を授与していただいたのも感慨深いものがありましたね。式典後はその足で実家の福岡へと飛び,墓前で母に学位授与の報告。一泊から自宅に帰るつもりでしたが,台風が接近しつつあったため,そのままとんぼ返りで関西へと戻ったのでした。「旅」が終わり,去来する思いは…感無量。

そんなこんなで、右往左往しながら歩き続けた4年半ではありましたが,博士課程で得られた知識・経験・体験・研究ノウハウ・人的ネットワークは他では得難いものであり,私のこれまでの人生の中でも特に密度の濃い時間を過ごすことができたように思えます。確かに働きながら大学院に通うことは決して楽なことではありませんが,かといって休日も四六時中研究ばかりをしていたわけではなく,「学生」の身分を活かして学割料金で美術館等を探訪したり,上京の折に軽く観光したりと,たまには息を抜きながら過ごしていたのも事実です。なので,これから社会人大学院に進学し,仕事と学業の二足のわらじを履こうと思っている方にひとこと…「ゴールよりもそこに至る過程を楽しめる人」は,それほど気負いしなくても大丈夫! 何とかなります。そして,過ぎてしまえば(社会人大学院生としての日々の重荷も)想像よりは辛くなかったとも思えてきますし,何よりも「巨人の肩の上に立つ」と言いますか、これまでよりも一歩高い視座から,世界の地平が見えてきますからね,きっと。

あとがき
思えば,学部・修士・博士課程で理系・文系を行き来しながら,すべてのステップで異分野(理学/教育学/情報学)を修得する不思議なキャリアを積んできました。その甲斐もあってか,モノゴトを多面的に捉え,問題を分野横断的に解決するスキルが身についたと思います。逆に言えば,特定の分野を極める研究者というよりは,文系・理系の枠をクロスオーバーする学際的な「橋渡し役」(メディエイター)なのかもしれませんね。

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