2017年は私にとって人生最大の衝撃が降りそそぐ一年でした。
…昨年末から体調を崩していた母が正月2日に痛みに耐えかねて入院し,一旦は退院したものの,すぐに容体が急変し,別の病院へ入ることになりました。そこで知らされた検査結果は…昨年手術したガンが再発し,体の至る所に転移しているため,治療は困難との宣告。心の準備ができていなかった分,棒で頭を殴られたかのような強い衝撃を覚えました。それでも運命に抗おうと,少しでも快方に向かうことが期待される食事や療法を試してみましたが,病魔はいつもその一歩先を行き,治療の甲斐なく4月末に67歳で亡くなった次第です。
昨春の手術後に,主治医からガン化した部位を完全に取り除くことができなかったため,抗ガン剤治療を行う必要があると言われ,母は3回(抗ガン剤)治療を受け,一時期は体調も回復しているように見えました。しかし,途中途中の検査をくぐり抜けたガン細胞がわずか数ヶ月で治療困難なレベルまで拡散し,再入院してからわずか4ヵ月でこの世を去ることになるとは…全くもって想定外でした。それだけに,母去りしこの世界の,底のない寂莫感にいまだ全身が覆われているような気がします。
母はアッセンデルフトというフォークアートの達人で,様々な作品を毎日のように描いていました。その作品の一部は,ギャラリーにそのまま残されています。作品の多くは小箱や鏡などの実用品で,日々の生活の中に彩りを添えるものばかりです。母は,何気ない日々にささやかな幸せを見つけ,ありきたりの日々にちょっとしたアクセントを加え,さりげない日々を潤す花々を思い思いに描いていったものでした。キャンバスに描く絵画とは異なり,工芸品であるフォークアートは使われてこその価値がありますので,ギャラリーの作品は,いつかは大切にしてくれる人たちにお譲りすることになると思いますが,しばらくの間は在りし日のまま残しておくつもりです。
弟を13年前に交通事故で突然失い,祖父母を5年前と3年前に亡くした後,次は当面ないだろうと思っていた矢先,こんなことになるとは…人の一生はかくも不条理で時に残酷なものです。遺されたものが思いを引き継ぎ,次の世代にバトンを渡していかねばと思いますが,ヒトリミが長く,同期も概ね落ちついた時分にまだ春も遠く霞みて,ずっと先の見えない一年を過ごしてしまいました。ただ,今秋ようやく論文が一本受理されましたので,来年はD論を完成させるべくラストスパートをかける年になりそうです。なんとか30代のうちに学位を取得し,次の展望に向かって進んでいればと考えています。
今年実感したことは,生きることと死ぬことの間には,それほど大きな彼我はなく,日々“メントン・モリ”のコトバを胸に,「もし今日が人生最後の日だったらなにをすべきか?」を問いかけて,歩んでいかねばならないということでした。いつかは必ず訪れる別れはいつ・どこで起こるか分からず,それでも普段はそのことを意識的・無意識に蓋をして「日常」という名の雑踏の中に埋もれさせていますが,「上がり」がいつ来ても悔いのないよう,一日一日を大切に生きていこうと思います。
絶ちがたき想いを胸に,いつか,遠い彼岸の先で再会することを期して。